君こそすべて~デイヴィッド・フォスター&フレンズ ライヴ | |
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そのライブを見ていて不覚にも驚いてしまったのは、シェリル・リン(Cheryl Lynn)の大ヒット曲「ガットトゥービーリアル(Got To Be Real)」にもデイヴィッド・フォスターが関わっていた、と知らされたことです。あわてて、普段テキストとしている「USブラックディスクガイド」を開いてみると、「TOTOとデヴィッド・フォスターが関わった〜」とちゃんと書かれています。70年代から80年代をチャートマニアとして過ごした自分としては、何たる不覚、といった感じです。こんな、現在ディスコクラシックと呼ばれる曲まで手がけていたとは。
エアプレイ(Airplay)というグループでジェイ・グレイドン(Jay Graydon)とともに名を知られるようになったデイヴィッド・フォスターですが、80年代に入るとプロデューサーとして怒涛の快進撃。ありとあらゆるアーティスト、グループのプロデュースを手がけ、現在までグラミー賞を15回受賞しているという、とてつもない実績の持ち主です。
70年代末から80年代にかけては、ロック・ポップスの作り方、売り方の効率化が推し進められ、産業として大きくなっていく時代であり、産業ロックというネーミングもその一端を表現したものでした。この産業化に際して最も重要視されたのが、プロデューサーであり、その代表格がデイヴィッド・フォスターである、というのが私の認識です。この過程では、既にヒット曲がありネームバリューのあるビッグネームを、外部からのプロデューサーの起用により更なる大ヒットにつなげる、という手法も多く取られました。彼の場合だと、シカゴ(Chicago)の「Hard To Say, I'm Sorry」やアースウィンド&ファイア(Earth, Wind & Fire)の「After The Love Is Gone」などがそれであり、他のプロデューサーの例ではスターシップ(Starship ex. Jefferson Starship)やティナターナー(Tina Turner)もその範疇に入るでしょう。
私はそれら産業化のすべてを嫌悪していたわけではなく、半分ぐらいは十分楽しんでいました。判断基準としては、「そのアーティスト・グループがその音楽をやる必要あるの?」ということであって、以前書いたように例えばドゥービーブラザーズ(Doobie Brothers)の場合は「なぜマイクマクドナルドはわざわざドゥービーズに来てそんなサウンドやるの?他でやってよ!」と思っていましたが、いわゆる産業ロックと呼ばれるグループはたいがい好きでしたし、デイヴィッド・フォスターについてはアーティスト・グループの個性を生かす人だなと思っていて、当時EW&Fを白くしたと賛否両論の「After The Love Is Gone」も特に違和感なく聞いていました。
90年代以降の彼は、主に新人のプロデュースに注力する一方、イタリアのテノール歌手アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)を手がけたりなど、相変わらず活躍しているようで、そんな彼の薫陶を受けたアーティストたちがこのライブにはたくさん出てきて楽しめます。最後にもう一つびっくりしたことを白状すると、ボチェッリとデュエットしていた女性歌手が美しくて歌もうまいこと! アメリカンアイドルで第2位になったキャサリン・マクフィー(Katharine McPhee)という人だそうです。デビューしてすぐ大成功し、年の大きく離れたプロデューサーと結婚した、と聞くと、マライア・キャリー(Mariah Carry)を思い出してしまいます。いろんな意味で彼女のようにならないでね〜。