2010年01月07日

マグネシウム文明論 矢部孝 山路達也 著 PHP新書 2010年1月発行

マグネシウム文明論 (PHP新書)マグネシウム文明論 (PHP新書)

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マグネシウム文明論。この本は昨年末からネットで評判になっており、私も正月に読もうと昨年中に入手、ことし一発目として読んだのだが、読んでいる間中、その内容にワクワクドキドキ。読了後もいろんな考えが浮かんできて、頭から離れることがない。そのあとさらに別の新書を一冊読んだにもかかわらず、そのワクワクが消えることはなく、読了から数日たった今日、改めて最初から読み始める始末。そのくらい、この本の威力は計り知れない。まさしく、すべての人たちに読んでほしい本である。

この本は、東工大教授である矢部氏が提唱し実現へのスタートを切った「マグネシウム循環社会」についてサイエンスライターの山路氏が著したものである。「マグネシウム循環社会」の道筋は以下のようなものだという:
(1)マグネシウムを豊富に含む海水を淡水化し、塩化マグネシウムを取り出し、熱を加えて酸化マグネシウムにする
(2)酸化マグネシウムを太陽光励起レーザーによって金属マグネシウムに精錬する
(3)金属マグネシウムを石油石炭に代わる燃料として、またはマグネシウム空気電池の電極として電気自動車や携帯機器のバッテリーで使用する
(4)使用済みの金属マグネシウムは酸化マグネシウムとなっている。これを回収し、(2)で再び金属マグネシウムにすればリサイクルができ、マグネシウム循環社会が成立する

ここで重要なのは、上記のそれぞれについて、基礎となる技術、すなわち(1)の太陽光を利用しランニングコストのかからない淡水化装置、(2)の太陽光から80Wの出力を得られるクロムネオジムYAGレーザー媒質、(3)の金属アルミニウムを使った簡易エンジンと簡易的なマグネシウム空気電池、のすべてにおいて基礎実験を行い、実証していることである。つまり机上の空論はどこにもなく、すべて動作が確認されている技術を使用するということであり、数多いトンデモ話とは一線を画する。

そもそも矢部氏はレーザー核融合を30年近く研究してきた研究者であり、「マグネシウム循環社会」を構想するきっかけとなったのは、(2)の太陽光励起レーザーであるという。それまで世界ではほとんど忘れ去られていた太陽光励起レーザーだったが、知人の研究者がその出力効率改善で成果を挙げていることを知り、共同研究によりそのレーザー媒質の安価な製造法や太陽光集光の安価な仕組みを考案し、結果として80Wの出力を得た。マグネシウム精錬には400Wの出力が必要と見積もっているが、それも2010年中に実現可能だという。

この本を読んでいると、矢部氏(とその研究グループ)の研究の進め方の素晴らしさをいくつも感じることができる。その一つは、多岐にわたる技術を自ら物していること。レーザー核融合研究者だったから新しいレーザー媒質にたどりついたというのはごく普通の話だが、太陽光利用の淡水化装置も自ら開発したとなれば話は変わってくる。これはレーザーとは何の関係もない技術だ。技術者、研究者というのは得てして専門バカになりがちだが、矢部氏は物事を根本の理屈から考え、問題の解決に科学的知見をシンプルに適用する、という能力に長けてらっしゃるようだ。
二つ目に、常に経済的合理性を検討していることがあげられる。技術者、研究者はあまり信じたくないことだが、実社会における実現性は技術の良さよりも経済的合理性が優先する。矢部氏は、それぞれの技術、そして将来実現すべき設備等について、常にコスト計算し、競合技術のコストと比較して、自技術のコスト優位性を確認しながら研究を進めている。コストこそが、自技術が実世界で受け入れられる最優先事項であることを理解されており、これはなかなかできないことである。
さらに三つ目として、研究の優先順位を冷静に判断して実行していることも挙げられるだろう。上記(1)(2)(3)の多岐にわたる分野の技術の基礎実験で実現性を確認した後、普通なら自分の専門に最も近い(2)のレーザーについて力をかけたくなるところだが、矢部氏は「マグネシウム循環社会」の実現には何よりもまずマグネシウムを安価に入手できる手段を確立することが最優先であるとして、(1)の淡水化装置の開発に注力している。そしてベンチャー企業を起こし、1日10トンの淡水を生成できる装置を開発済みで、2010年には主に海外に1000台の装置を納入する予定だという。まさに、上で書いたように「実現へのスタートを切った」といえよう。

「マグネシウム循環社会」と聞くと、あまりにもスケールが大きすぎて、マユツバ的な捕らえ方をされるのもわからないわけではない。しかし、ここで強調しておきたいのは、上記の個々の技術それぞれをとっても、それらが社会に与えるインパクトは非常に大きいだろうということである。太陽光励起により局所的に2万度相当のエネルギーを得られるレーザー。矢部氏は、この技術で社会に対して最も大きいレバレッジで貢献できる方法として、マグネシウム循環社会を構想したのだろう。だがこの技術はべつにマグネシウム精錬のみに有効なのではない。他の金属の精錬は言うに及ばず、今問題となっている石油生成物のリサイクルなどにも有効かもしれない。そもそもローコストでこのようなエネルギーを得る方法は今までなかったのであるから、今後さまざまな分野で、このレーザーを使った新技術が出てくる可能性が大きい。
また、マグネシウムが安価に入手できるようになったとき、現時点で最もインパクトがあるのは、マグネシウム空気電池であろう。矢部氏はこの電池についてはあえて深入りしていないように著書からは感じる。確かに、電池技術は原理実験と実用化量産化の間に大きな隔たりがあり、その開発には大きなコストがかかるため、研究費が潤沢でない大学で研究を進めるのはむずかしいだろう。一方で、産業界では電気自動車の普及を前にしてニッケル水素電池やリチウムイオン電池を超える電池の開発は至上命題であり、黙っていても企業での研究は進むであろう。ここでも、まずマグネシウムの安価生産が最優先だとする矢部氏の判断は正しいと思われる。次世代電池として今最も可能性があるのはリチウム空気電池だという意見があるが、レアメタルであるリチウムはすでに世界で争奪戦の様相を呈しており、若干性能が落ちるとしても豊富な金属であるマグネシウムを使ったマグネシウム空気電池が実用化されれば、電気自動車は航続距離が増え普及に弾みがつき、さらにそれを蓄電池として利用するスマートグリッドの実現も後押しされる。そもそも再生エネルギーによる発電には、電力安定供給のためのバッファとしての蓄電池は不可欠だが、その用途としての単体の蓄電池としては、リチウムイオン電池や、日本ガイシと東京電力のみが生産するNAS(ナトリウム硫黄)電池が使われている。ここにもマグネシウム空気電池が使われる可能性がある。

そもそも、金属を燃料として使用するというのは、筋のいい技術だと思う。金属マグネシウムを燃やすと酸化マグネシウムになり、それを還元すれば金属マグネシウムに戻る。このサイクルで他の生成物は何もない(燃やす際に水と反応させるときに水素が発生するが、これも燃焼すれば水が生成されるだけだ)。一方、石油などの有機燃料は、燃料以外にもプラスチックを初めとするさまざまな化合物を生成でき、実際に我々はその恩恵を受けてきたが、それらは分解が容易でなく、結果としてごみ処分場に放置することしかできない。そういった意味で、「マグネシウム循環社会」はエネルギーにおける理想社会と言えるかもしれない。
現在矢部氏の下には東京都瑞穂町の中小企業が集まって淡水化装置「ペガサス淡水化システム」の開発製造を行っているが、この事業には国内外から投資が集まり始めており、政府補助金はまったく使われていないという。つまり矢部氏の構想は産業界に受け入れられ始めており、もはや夢物語の域は脱している。本書を読んでその内容に賛同したものは、その企業に投資するなどして応援するのもいいだろう。ただ、本書を読んでまだその内容を信じられないものは、生半可な知識で批判すべきではないと思う。自分の生活に不利益が及ばない限り、ただ黙って見守っていればよい。それが、新しいことにチャレンジしようと自ら行動するものに対する、最低限の礼儀である。



posted by beverlyglen2190 at 02:03 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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